マンションライフを送れる

家具付きレジデンス

前田はにおいや音の問題から客に失礼のないように台所と離すほうがいいと述べているからである。ただ、桜井は、離すほうがいいけれども、離すとそれだけ人手がかかると現実的な問題を指摘しているのだ。
また、桜井は、自らの家で実践している台所兼食堂の様子を簡易生活として、実生活の様子を写真で紹介している(図32)。動作経済を主張した三角の自邸も、実は、台所に食テーブルが置かれており台所兼食堂という場所を自ら創意工夫していた。

こうした台所兼食堂こそ現在のDKに相当するものであり、簡易生活を求める知的な人々の間で、こうした生活が既に実践されていたことが推測できるのである。ちなみに、桜井ちか子は女子英学塾で英語を学び、また、一八九三年には渡米し、帰国後にアメリカの女子教育を取り入れた桜井女塾(後の女子学院)を開くなど、アメリカの生活体験を持つ革新的な女性であった。
工事や取り付けるまでの準備工事を行う工務店

家の中も散らかることはありません

マンション大規模修繕

三角の提案もアメリカからの影響であり、桜井の考え方もアメリカでの合理的な生活経験の影響と考えられる。
桜井や三角の実践していた台所と食堂を兼用する生活は、それでも、さて、基本的には戦後まで一般化しなかっそれまで距離をとっ密接に隣接させるべきという主張が起こり始めることになる。
六力たが、一九二0年代になると、一層台所と食堂の兼用の紹介や、また、て離すべきといわれていた台所と食堂を、
中流住宅に必要なこと『住宅』一九二四年一11月号を見てみよう。
いてもいろいろ取り上げられている。
この号も食事室を特集した食事室号で、食堂の位置にったとえば、わが国最初期の住宅専門会社あめりか屋の店主·橋口信助1870-1927食堂に就ての中で「食堂の最も必要とするのは其位置であるが之は是非台所と接近するのを必要とする」とし、また、中流以上の家庭では台所と食堂の間にパントリー(配膳室)を設けるべきだと主張している。


家政策の開始を意味していたのであるこのよう
家政策の開始を意味していたのであるこのよう

住宅の多くが木造だったからにすぎません

工事の質が変わる事もありませんその理由は、台所の音やにおいをこのパントリーを設けることで取り除けるからであり、そしてまた、パントリーと食堂の間にはハッチを設ければ食堂からすぐ使用済みの食器類などを受け取ることができて便利とも述べている(図33)。

食堂と台所を兼用することについては、早大教授の佐藤功一がr食堂と中流住家の中で「米国に於ける近代の簡易生活を基とした中流生活者は食堂を独立させない傾向となって居る」と述べ、また、あめりか屋技師長として活躍した建築家·山本拙郎1890-1944食堂の話の中で台所の一隅に食堂を設けている例を詳しく紹介している。そして、食堂の位置に関しては「玄関にあまり接近せず居間と遠からず且台所と緊密に関係することの必要なことは申すまでもありません」とし、さらに、配膳室がある場合は食堂との間にやはりハッチを設けるのが便利と述べている。
価格ダウンの方法を建築家ではないけれどこのように、台所と食堂の関係は、機能的には二つの場がセットとなってはじめて意味があり、して設けるべきであることが主張されることになる。
隣接また、中流住宅以上では、食堂へのにおいや音の入ることを防ぐために配膳室を設けること、一方、利便性から配膳室と食堂の間にハッチを設けることが相次いで主張されている。そして、こうした主張を行なっている人々が参考にしているのは、共通してアメリカ様式の住宅であった。まさに、一九一。
年代以降になるとわが国ではアメリカ様式の住宅がめざすべきモデルと目されていた風潮がはっきりとみてとれることになるのである
台所を生まれ変わらせるところで、ハッチについて少し触れたい。
一九一0年代以降、台所と食堂、あるいは、配膳室と食堂の間仕切壁にハッチを設けることが盛んに主張されている。

家を建ててくれたハウスメーカー

このハッチは、部屋間の移動をせずに食器や料理を運べ、まさしく家事合理化の実践の中で求められたものであった。台所の一部に食堂を設けることも提案されたが、その事例は極めて少なく、一九一。
年代以降一九四0年代頃までの住宅を見ていくと、多くは機能性を求めて盛んにハッチが設けられていたことがわかる(図34)。そして、戦後になると、それまでもてはやされていたハッチは、台所と食堂を兼用する台所兼食堂(DK)を取り入れた間取りが急速に普及するなかで、姿を消すことになるのである
終戦直後、わが国では四二0万戸の住宅不足を解消するために、大量の極小住宅を建設する必要があった。その際、京都大学教授の西山卯三1911-1994は、必要最小限の住まいを確保するための理論として、食寝分離論·寝室分離論、すなわち、眠るところと食べるところの機能分離の確保、男と女の性差による別室就寝の確保、つまり、文化的で人間らしい生活を確保する最低限の条件こそ、寝室を二つ確保して大人と子ども、あるいは、男女の別室就寝をすることであり、それぞれ独立した寝室と食事の場の確保であると説いたのである。
建築のみが放つデザインの強度に魅了される


家を建てる希望を失わないでください
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建築が実在するとは思っていなかった建築

それほど、戦後の住まいは虐げられた状況の中で追求されたのであるそして、この主張に従って狭い面積の中で寝室を二つ確保するために考え出されたのが、食事の場を台所部分に設けるという方法-台所兼食堂(DK)--だった。それは、食事と台所を別にして設けることが一般的であったなかでの苦肉の処置だったといえる。
ただ、それでも戦後急速にDKを受け入れていく背景には、単にしようがないという後ろ向きの思考というよりも、私は戦前期に既に台所に食事の場を設けるという簡易な生活スタイルが提唱されていたことに加え、合理化のために台所と食堂の間の壁にハッチを設けて二つの部屋を物理的にも一体化しようとする認識が徐々に浸透していたことが大きな力となって作用していたように思える。

家族構成や同居予定