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家の中でも高い段差である

家庭博覧会とは、文字通り、家庭をテーマとした博覧会のことである。今日、家庭を博覧会や展覧会のテーマとして取り上げることは何ら珍しいことではないが、当時としては極めて画期的な出来事だった。
明治以降、富国強兵·殖産興業のスローガンのもとで歩みだしたわが国では、殖産興業を推し進める政策として政府主導により内国勧業博覧会が行なわれた。この内国勧業博覧会とは、いわば一八五一年にロンドンで初めて開催された万国博覧会の国内版であり、内容的には全国の物産展示会で、県単位に出品された多くの工芸品が一堂に展示され、それに優劣を付けることで技量を競わせたのである。一九0二(明治三五)年に行なわれた第五回を最後に終了するが、このような素朴で競争心を煽るものであったにもかかわらず、産業技術の発展には大いに寄与する政策でもあったようであるこの内国勧業博覧会に端的に見られるように、明治期に行なわれた多くの様々な博覧会は産業発展策と結びついた国策的な意味のあるものとして企画され、そして、実践されていたのである。家づくりの基本情報自分がどんしかし、国家としての体裁が整い始めるにつれ、経済基盤の構築という国策の意味合いが次第に薄れ、代わって!
般の人々を対象とした思想の啓蒙を目的とする多種多様な博覧会·展覧会へと移行していくことになるこの家庭博覧会は名称そのものが示しているように、それまで国家という体面をかたちづくるために行なわれてきた博覧会の中では顧みられることのなかった家庭をテーマとした極めて斬新なものであった。ただ、この家庭が個人の主体を認めた家庭であったのか、あるいは、国家を支える細胞としての家庭であったのかの吟味が求められようが、いずれにしても、新しい時代の到来を告げる博覧会であったといえる。
さて、この家庭博覧会は、明治以降の洋風化政策の浸透による和洋の混在した煩雑な家庭生活を、今後どうすればいいのかを問い、そのためにまず、現実の生活を直視し、そこから模範的な家庭のあり方を見つけることを目的に開催されている。興味深いのは、論理的にあるべき方向性を示すというのではなく、展示されたモノを通して考えようという姿勢が貫かれていたことである。

  • 工事店さんに現場に入ってもらうのはあ
  • 部屋着に分かれてるのと同じよう
  • 暖房効率をあげる

家は公共施設の空間を構築するのに対

そこには、和と洋の混在の様相がモノの氾濫として捉えられ、それ故、それらのモノを整理し、便利なモノをうまく取り入れることにより家庭生活の改善ができるという考えが根底にあったように思える。この考えこそ、今日に続くこの時代の特性を表わしていたといえる。様々な問題をモノで解決しようとする現代の消費社会との連続性が垣間見られるからである。

大人の社交場ではない日本のデパート文化さて、国民新聞社では家庭博覧会の開催を三月11日に発表し、一八日にはその出品者の募集を開始している。わが国の創作童話の創始者といわれる巌谷小波1870-1933は、家庭博覧会の主催者側のスタッフとして、台所改良を例にして新聞紙上で「実用に適し且つ経済向きのものを選ぶに在って例えば同じ瓦斯に関するものを陳列するにも其効用よりは瓦斯の勝手道具を並べて其使用方を示すのもいい料理なども種々模型を陳列し、時には実物応用で説明したならば益するところが多」いとし、モノの展示の効用を述べている。
マンションのほう
ここでも論理的·啓蒙的な目的というよりは、モノへのまなざしが語られていることがわかる。それは、当時のモノの氾濫した日常生活の様子が反映されていたのであるいわやさざなみこのように衣食住に関するものを揃えて比較検討しようという現実的でわかりやすいアプローチが功を奏して、博覧会の反響は思いのほかよかった。加えて、主催者側が、主婦と子供に注目し、会場内を遊園地のように、現代風にいえばテーマパークとして、娯楽性を持たせようとしたことも成功の理由であった。
とぎ児童文学者として名を馳せていた巌谷を抱き込み、子供の入場のための優待制度を実施し、お伽楽園や余興館や通俗図書館といった子どもを対象とした施設を会場内に積極的に開設したのである。それは「今日は帝劇、明日は三越」のキャッチフレーズで知られるデパート文化が、わが国ではヨーロッパに見られる大人の社交場としてではなく、子ども連れの家族を中心とした娯楽施設として定着したことと極めてよく似た現象といえる。
一方、出展者の多くは、家庭博覧会は商品宣伝の良い機会と捉えていた。その意味では、家庭博覧会を皮切りに、新しい時代にふさわしい新たなる家庭の追求は、近代という時代では避けることのできない商品化の流れとともに展開されたといえるし、自動的に家庭生活の商品化も始まったのである
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工事を行なったとき

出展作品から住まい関連のものについてその一部を列記すれば、中流模範住宅中流紳士の住宅東京大学教授伊東忠太模範邸宅あめりか屋、「中流の納戸と主婦の部屋」(婦人の友社·羽仁もと%)、主婦室後閑菊野·宮川すみ子台所(入沢常%)、「台所とガスアイロン、風呂場のガス器具、座敷のガス器具」(東京ガス)、「育児室寝室+勉強室+遊戯室日本女子大学校、「小児室居間+寝室+浴室:設計三越意匠部/実物」丸見屋商店改良洗濯場(白洋舎)といった住まいから生活関連機器まで幅広く出展されていた。
こうした出展作品を見ていると、おもしろいことに気づく。新しい住まいといえば、今日ではその間取りをどうするのか、デザインはどうするのかというように住まい全体の姿が問題とされる。しかしこの時代にあっては住まい全体を対象としたものは極めて少なく、大半は住まいを構成する一部だけを取り上げ、それをどうすべきかを実際に示そうというものであった。不動産投資を始める前に読む本筑摩書房日本

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まさしく、部屋を単位に考えられていたことがうかがえるのだ。
たとえば、台所の提案があるが、台所だけ変わっても?という疑問も起こりそうであるが、当時の住まいの問題は、このように部分から変えていくという方法が一般的であった。一般の人々を対象とした展覧会であれば、まさしくこの方が理解されやすく、同時に実践へと移行しやすかったのであるまた、この現象を改めて言い直せば、住宅そのものと台所や子ども室が同価値のモノとして扱われているといえることになる。台所は、近代に入り、住宅の一部でありながら住宅と同等の価値を持ち始めたのである。このことは、台所でいえば、台所が住宅の中心として考えられ始めていたことを暗示していたし、相対的に主婦の役割が重視されていたことをも意味していた。また、子ども室でいえば、子ども室の必要性が強く意識され始めていたともいえる。
いずれにせよ、住まい全体の新しい姿を論じるにはまさに建築家の出現が必要だったのである。とすれば、全体を語る出展作品の少なさは、一般大衆の住まいを扱う建築家がまだ出現していなかったことを示している。しかし、建築家が一般大衆に向かって住まいについて語り始める住宅の時代は、この頃から始まるのである
一番長い時間を過ごすのは誰?
ところで、ここで最も注目したいのが、その見せ方である。それまでの住宅の展示は、図面かあるいはせいぜい模型による展示でしかなかった。


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